十戒―The Ten Commandments―

2018/09/07(金)より

この日は雨が酷く、お出かけ気分じゃなかったので、映画十戒を見ることにしました。

 

十戒』は1956年の作品です。監督はセシル・B・デミル。この方は1923年にも同じく『The Ten Commandments』という名で作品を撮っていますが、一般的には1956年の方が有名で知られているようです。また、この『十戒』はセシル・B・デミル監督最後の作品とされています。上映時間はなんと232分。3時間以上ある超大作です!

 

物語は大きく2つに分かれています。intermission前では、モーセの誕生からエジプトを目指し始めるまで。後半は神の預言者となったモーセの活躍を描いています。かの有名な海を真っ二つに割るエピソードは後半部分に当たります。

 

intermission…映画館で行われる途中休憩のこと。長編作品に多い。観客に休憩時間を与えるほか、(リール一本で)フィルムを映写していた時代では、交換のためにも設けられていた。テレビ放映でも残されている作品がある。

 

まあ、とにかく長いので、勇気ある人は見てみてください。物語自体は、結構単純です。おとぎ話チックなので、善悪がはっきりしており、モーセをある程度知っていれば先の展開は簡単に予想がつきます。歴史好きにおすすめ。

 

 

さて、気になった所をピックアップして少々コメントを。

の前に、登場人物を簡単に紹介します。

 

モーセ…エジプトが強大な力を持っていた時代に、ヘブライ人として生まれる。当時の王によりヘブライ人の赤ん坊を殺す命令が出された時、母親がカゴに入れて川に流す。そのカゴを当時のエジプト王女ビシアが拾うことにより、エジプト王家の人間として育てられる。

 

ラメセス…エジプト王セティ1世の嫡子。モーセとは兄弟同然になるが、父のモーセへの溺愛ぶりから、モーセを良く思っていない。野心が強く、何が何でも次期エジプト王になろうとあの手この手を尽くす。

 

ネフレテリ…次期エジプト王の妃になることが約束された美女。モーセを深く愛しており、ヘブライ人(奴隷)として生きようとするモーセをエジプト王になるよう説得する。しかし、モーセが心変わりすることがなかったので、エジプト王になったラメセスの妻になる。

 

*物語はこの3人を中心に描いている。それぞれ、チャールトン・ヘストンユル・ブリンナーアン・バクスターが演じています。当時を代表するハリウッドの大スター!オーラがすごい。

 

 

モーセの正義とは】

物語によると、モーセが生まれた時代、ヘブライ人は長らくエジプトで奴隷として扱われていました。食べ物もろくに与えられず、休む間もなく、鞭を打たれながらひたすらこき使われます。そんな中、ヘブライ人たちは「救世主」の登場を待ちながら懸命に日々を生きていくのでした。

 

モーセは実の母親を知らぬままエジプト王家で王子として育っていきました。次期エジプト王の有力候補とされながらも、ラメセスの画策により、進んでいなかった都建設の現場監督を任されてしまいます。しかし、現状を把握した彼は飢えていたヘブライ人に神殿の麦を与え、7日に1日の休みを設けるなどして改革を進め、見事に都を完成させました。この功績によってますます名声が高まり、エジプト王の継承がすぐそこまで迫ってきました。

 

恋仲にあるネフレテリもモーセとの結婚を今か今かと楽しみにしていました。そんな折、召使のメムネットはついにモーセヘブライ人であることを彼女に告げてしまうのです。ショックに陥ったネフレテリは衝動でメムネットを殺してしまいます。しかし、モーセの情報はラメセスにも渡ってしまいます。モーセもまた実の母親ヨシャベルと面会してヘブライ人として生きることを決意します。

 

と長くなってしまいましたが、要はモーセはエジプト王にふさわしい人望があったということです。王位継承というと血統主義が色濃いイメージですが、セティ1世は「エジプトを任せられる人間を次の王にする」「私は血で人を選ばない」と能力主義な考えを持っています。このことからも、モーセがエジプト王になる資格は十分あったと言えます。

 

しかしながら、モーセ本人は「神の預言者」となったように頑なにエジプト王の道を拒んだのです。育ての母ビシアも愛しの女性ネフレテリの言葉も受け入れず、頑として自分の考えを変えようとはしませんでした。芯が通っていると言えば聞こえはいいけれど正直頑固にもほどがあるだろうと思ってしまいました。

 

エジプト王にふさわしいことをネフレテリはきちんと言っています。

「あなたが王になれば多くの国民を救える」と。

都づくりにあったように決して力づくで従えようとはせず、知恵でもって人々を動かすというのは統治者として十分な素質があります。

間違いなく、ヘブライ人からも支持されていたでしょう。

それでも、モーセが奴隷になってまでエジプト王家を拒んだ理由は何なのでしょう?

彼は、「人が人を奴隷にするのは~」と言っていましたが、奴隷を止めさせたいなら自ら王となってそういう命令を出せばいいのでは?と思ってしまいます。

 

よほどの理由がなければ過去も王家も捨てられないのではないかと思うのですが、生まれの血だけで過酷な運命に立ち向えるモーセはやはり勇敢で立派な人物なんでしょうね。

 

 

次は『駅馬車』について何か書ければと思います。

それでは。